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広島のおばあちゃん

クインテットのお客様の Iさんの

おばあちゃまが よく カットとヘアカラーで

来ていただいています。

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このおばあちゃまは スタイリスト丹野がいつも

担当させていただいてるんですが

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(現在 髪の毛は赤です)

この子 金髪や赤や緑とインコのように ヘアカラーの色

を変えますが おばああちゃん おじいちゃんも居た家で

そだってるんで おばあちゃま世代の接客が上手いんです

私も おばあちゃん子でしたからね

さて このおばあちゃまに

「生まれはどこなんだい?」って聞いたら

「ひろしまっ」 って 答えていただけました

「へー!! 広島! 原爆の時はどうしてたんだい???」

って 当然の質問になりました

その時は 山一つ越えた 村に疎開していたんで

家族もたすかった と しかし、

一人 お兄ちゃんが 中学生で 学徒動員により

市内の工場で働いていたんです 

そこに原爆がと、、、、、、

「そうなんですね それはお兄さん、、、大変な思いをしたね」

と話していたら

「いや、そのお兄ちゃん今も元気なんです!」

と、、、、

 当時 広島市内で働いていて そのお兄ちゃん

当然 被ばくしていました とんでもない やけどをして

全身ぼろぼろで 市内から山を越えて あるいて家族のいる

疎開村まで帰ってきたんですって

被ばくしたんだから その後はさぞ大変だったでしょう??

と聞いたら(はだしのゲンのように) 

それが、 やけどした 皮が ぺろーんと剝がれると

すっかり良くなっちゃたんです と それで 今でも元気

なんですと

そんなこともあるもんなんのか!? と 戦時中の話で

また盛り上がりました

こないだ来た おばあちゃまの時もそうでしたが

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私は 戦時中のはなしが大好きなんです。

 

私の 嫁の おじいちゃんは 関東軍として 満州にいた人

でしたんで 

「おじいちゃん 関東軍っていえば 陸軍のエリートじゃないですか=」

と聞くと 待ってましたとばかりに いろいろ話してくれるんです

 

 歳を とって みんなが 自分の話を 聞いてくれなくなります

自分も 歳をとった時に 若い世代の人が知らない事を

語れないと 困るな と こういった おばあちゃま達を 

カットしながら 思いますね。