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母の美容室

こないだの休み 両親の家に

子供たちと行った時 昔のアルバムが

あったので 見てみると

昭和 40年代の 母の美容室の写真が

出てきました

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当時 お店と 住居は一緒でしたんで

しょっちゅう 私も 店に遊びに出てきては

「あっちいってろ」と いわれながらも

お客さん、 母の お弟子さん達には

かわいがられ 育ちました。

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母は そんなに 裕福な家の出ではなかったですが

前橋の 三河町に嫁いできて

美容室を出し 懸命に働き

その後 前橋に 2店舗 高崎に1店舗と

経営し たぶん 大工をやっていた 父の

年収を軽く超えていたと思います

お姑さんもいましたから 特に何を 買って楽しむ

ってことも せず

「商売 ってのはね ここと ここを こうして

こうなると 面白いのよ」 って 子供の頃

たまに 教えて くれて 今でも よく覚えています


いまでは 自分が お店を やっていますが

3店舗って 凄いですね たぶん気苦労は三倍ではなく

6倍くらいになるとは思います

でも その分 報酬は倍です ここで 報酬は倍 と言いましたが

何も 自分の儲けたお金だけのことではありません

商売人にとって 報酬とは

「お客さんに喜んでもらうこと」

「アンタのところで 髪の毛やってもらってよかったわ」

この 褒められる 報酬ってのが

醍醐味なんだと言っていました


つまり 店舗数がふえれば 喜ばせる お客さんの数をもっと

多くできるってことなんですね


私も 13年前に お店を出した時

母の 美容室に通っていた お客さんもきてましたから

よく

「お母さんが お店出してくれたんでしょ?」

みたいに よくいわれました


お店出すとき

何千万円かの 融資を受けましたが

その時

いくらなんでも この金額を

もう 先輩経営者とはいえ 歳をとった

母に させるわけには いかないよな

と 当時経営など 何も知らなかった 私でも

そのくらいの モラルというか 責任感はありましたね


母から 美容の技術的なことや 経営のテクニックてきな

事を 教わったことは ありませんが

その 全て 自己責任という 背中にしょってるモノを

見て育だつ というのは 本当だと 思いますね