広島のおばあちゃん
2017年03月27日
クインテットのお客様の Iさんの
おばあちゃまが よく カットとヘアカラーで
来ていただいています。
このおばあちゃまは スタイリスト丹野がいつも
担当させていただいてるんですが
(現在 髪の毛は赤です)
この子 金髪や赤や緑とインコのように ヘアカラーの色
を変えますが おばああちゃん おじいちゃんも居た家で
そだってるんで おばあちゃま世代の接客が上手いんです
私も おばあちゃん子でしたからね
さて このおばあちゃまに
「生まれはどこなんだい?」って聞いたら
「ひろしまっ」 って 答えていただけました
「へー!! 広島! 原爆の時はどうしてたんだい???」
って 当然の質問になりました
その時は 山一つ越えた 村に疎開していたんで
家族もたすかった と しかし、
一人 お兄ちゃんが 中学生で 学徒動員により
市内の工場で働いていたんです
そこに原爆がと、、、、、、
「そうなんですね それはお兄さん、、、大変な思いをしたね」
と話していたら
「いや、そのお兄ちゃん今も元気なんです!」
と、、、、
当時 広島市内で働いていて そのお兄ちゃん
当然 被ばくしていました とんでもない やけどをして
全身ぼろぼろで 市内から山を越えて あるいて家族のいる
疎開村まで帰ってきたんですって
被ばくしたんだから その後はさぞ大変だったでしょう??
と聞いたら(はだしのゲンのように)
それが、 やけどした 皮が ぺろーんと剝がれると
すっかり良くなっちゃたんです と それで 今でも元気
なんですと
そんなこともあるもんなんのか!? と 戦時中の話で
また盛り上がりました
こないだ来た おばあちゃまの時もそうでしたが
私は 戦時中のはなしが大好きなんです。
私の 嫁の おじいちゃんは 関東軍として 満州にいた人
でしたんで
「おじいちゃん 関東軍っていえば 陸軍のエリートじゃないですか=」
と聞くと 待ってましたとばかりに いろいろ話してくれるんです
歳を とって みんなが 自分の話を 聞いてくれなくなります
自分も 歳をとった時に 若い世代の人が知らない事を
語れないと 困るな と こういった おばあちゃま達を
カットしながら 思いますね。