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最後の”いっぽ”

今年の 1月、私の 父が 87歳で他界したんです。 昨年の 夏くらいにひどく黄疸がでてすぐ入院したんです 結果はすい臓がんが原因でした  黄疸をとるために 胆管を広げる手術等を2度ほど行い 3週間ほど入院しました  病院では 大本である すい臓がんはどうしますか? って話になり 母と 姉とで 話し合ったんです オペは 高齢ってこともあり ドクターはお勧めできない  との こと  薬による 治療って おっしゃるんで わたしが  「薬って抗がん剤ですよね?」 って聞くと 「そうです」 と ここで、 手術も 抗がん剤による 治療も お断りさせて いただきました。 なぜなら 父が 一番望んで いたことは 「家に帰りたい」ってことだったからなんです 運よく 胆管を 広げる手術もうまくいき 数値も安定し ドクターが 「佐藤さん退院できますよ」 って言ったとき 父の嬉しそうに 手を合わせて お礼を言ったのを 見た時 なんとか 父の大好きな 自宅で 大工でしたから 自分で 建てた 家に 帰してそこで 好きな もの食って 好きに 演歌聞いて 予後を過ごしてもらいたいと思ったからなんです まだ、 当時 父は痛みも感じてませんでしたので ここで 抗がん剤投与すると 大好きな 鮨も何も 食えなくなって 死んでいくなと 思ったのと ドクターも そうは 言わずとも 好きなものは 食べれる 食欲はでなくなるでしょうと 言っていました で ここで さて  病院の治療はいらん!! と  丁重にお断りしたものの  家族だけで どうすんべ?? ってなり 幸い うちのお客様には ドクターが 沢山いらっしゃるんですね  そのドクター たちに 父の状況を説明すると それは 妥当な判断だと思います と 皆さん 病院では 言いにくいことも あると思うんです。 今後 治療しても 延命治療になるしかない とかの話しですが それは 言いにくいです 解ります。 で、 無意味な 延命治療ではなく 父が 出来るだけ 身体は弱っても 充実して (勝手ですが これが大事だと思うんです) いつもの好きなモノ食って いつもの演歌を爆音で聞いて 生活できる事は 出来るか?? って 聞くと ほとんどのドクターが 「ここに 行け!!」と太鼓判を押す先生がいました ここの萬田 先生 に行きなさい!! と 緩和ケア専門 の医療 「一歩いっぽ」 さんってとこ 紹介されたんです そこの ドクターに萬田 先生ってのがいて その 筋で 有名だと 言うんです あんまり その筋の 方々から 紹介されるんで 今回 父の 入院時にお世話になった ドクターにも 「先生 父の退院してから の今後なんですが 緩和ケアの 一歩さん ってとこの 萬田先生って方が いるらしいんですが?」 って聞いたら 「いや~ 凄い いい先生ですよ すぐ紹介状書きます」 ってかんじで 話が すすみ 退院後 すぐ 萬田先生のところ を訪ねたんです 初めての診察の時、 母が  「お父さん お鮨が好きなんですが 食べ過ぎは身体によくないんじゃ ないでしょうか?」って聞くと 「お父さん お鮨がすきなんですね~ 」 「お母さん もっと お鮨 好きなだけ 食べさせて下さい!」 診察には 私も 一緒にいってましたんで 隣りで それを聞いてる 父の にんまり した表情 「ほら 食っていいって言ってるじゃん」 と言わんばかりでしたね つまり 患者 が 好きなことを やらせてあげる 家族が それは 身体に悪いから ダメ ダメ としない って 事なんです 母が 「昨晩 ば~と 熱が出て」 どうして なんですか?? と聞くと 「わかりません!!」 とか きっぱり答えてくれる 先生で面白いんです 診察は 一時間ほど ずっと 父の話を 聞いて くれて ま~ 普段 しゃべらない 父が ここに来ると よくしゃべること 家族はびっくりするんですね それも この 萬田先生の魅力なんでしょうね 白衣着てないんで 先生らしくないんですが よく通る やさしい声 いつも ニコニコしている  話しやすい感じ これ 商売人の 基本なんですよね 医者で これなら 患者から人気出るわけですわ この先生 初診の時 「もっとお父さんのこと 教えてください」 って父にいろいろ聞いてる時 カルテに何かかいてたんで 覗いてみると 「はい お父さん できました」 とか言って 父の 似顔絵描いてみせてくれました

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よく似てます 父が 亡くなった 時  「先生 カルテに 父の似顔絵描いてたでしょ? アレ、面白かったんで ラインで送って」 って 私が言ったら すぐ送ってくれました。 夏に 退院した 父も 12月頃から だんだん 動きが鈍くなり  でも お正月に みんなで伊香保温泉には行けたんです その後 緩和ケアいっぽさんには頻繁に自宅に 来ていただくことにはなったんですが びっくりしたのは 「看病してて 困ったことはないですか??」 って 患者とおんなじに 家族にもケアしてくるんですね 私が 父を風呂場に連れて行く時、足元が父が悪いんで と言うと お風呂場まで入れる車いすを用意してくれたり してくれました。 「病院に出来て 自宅で出来ないことは無い。」 という ここの緩和ケアのコンセプトなんです 私たち 家族が 今回父を 自宅で看取ったわけですが 自宅だからこそ できたこと 良かったことが多いんですね まずは、 父が 寝込んで る 隣で 我々家族は 飯食ったり 雑談したりするんですが そん時  私が ちっちゃかった頃の 話 お父さんの若かった時の 話  お父さん に 怒られた 時の 話 お父さん が 仕事で 大けが した話 嫁、姑 の 話 知らない話が出てくる出てくる 毎日が 泣き笑い だったんですが  そんな話が最後に出来て 周りに気兼ねなく話せるのも 自宅ケアの醍醐味(?)だったわけなんですね 萬田先生が 家に往診に来たとき 父の嬉しそうに 寝たきりでしたが  「俺が建てた家 見てってくれ」 「息子も 娘も 自慢の子たちで」 とか え~ 一度もそんなこと言ってもらったこと 無いんですけど と 横で 聞いてました 母だけは 自慢の嫁で とは言ってもらえなかったと 思いますが 萬田先生が 自宅に往診に来たとき 父のベッドの 配置を見て 「おおこれは!! 」 「お父さん 大切にされてますね=!」 って言うんで なんで ですか 「ベッドが部屋の中心にあるってことは 患者さんが 大切にされてるってことです 家族のみなさんがスバラシイ」 と かぞくまで 労ってくれる ナイスガイな萬田先生なんです そんな 緩和ケア 一歩さんの バックアップもうけ 父は 希望通り 自宅で 息を引き取り 家族全員孫もみんなに送られながら  最後には これだな と 思った 私の演出で 父が しょっちゅう 聞いていた 北島三郎の 父のためにあるような曲「職人」 (これ 意外に いい曲で 歌詞が鳴かせます) をかけながら 逝きました (病院では 無理 ) とまあ、 長くなりましたが 緩和ケア 一歩いっぽさん のご紹介でした 場所、 高崎市 京目町790 でんわ 0273-53-3353 http://www.ippo-kai.com/ 家に帰ろう: 在宅緩和ケア医が見た 旅立つ命の奇跡 (一般書)/徳間書店 ¥1,296 Amazon.co.jp